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【浮世絵で見る】まもなく桜が開花!江戸時代から今も変わらないお花見スポットはどうやってできた?

【浮世絵で見る】まもなく桜が開花!江戸時代から今も変わらないお花見スポットはどうやってできた?

まもなく桜の開花シーズンがやって来る。

都内にある桜の名所の多くは江戸時代に成立しており、我々現代人がお花見を楽しむように、江戸っ子たちも桜の下に集まってわいわいと楽しんだ。

都内随一のお花見スポットである上野公園をはじめとした桜の名所は、どのように成立したのだろうか。当時の桜の名所を描いた浮世絵とともに見ていきたい。

将軍徳川吉宗が整備し、渋沢栄一が暮らした飛鳥山

北区王子にある飛鳥山公園。現在NHKで放送中の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公 渋沢栄一が邸宅を構えたことでも有名なこの地は都内有数の桜の名所だ。

その歴史は8代将軍 徳川吉宗が享保の改革の一環として、享保5年(1720)から翌年にかけて約1300本の桜が植えたことに始まる。

当時、江戸の桜の名所は寛永寺しかなく、花見シーズンになると多くの人が一斉に集まることで風紀が乱れていたため、庶民が安全に桜を楽しめるようにと整備したという。開放時には、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてのアピールを行った。

また、上野では禁止されていた酒宴や仮装が飛鳥山では認められていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らしてお花見を楽しんだ。

歌川広重が描いた浮世絵からも敷物の上でお重を囲む人や、寝そべっている人も見て取れる。

火災復興から成立した海を臨む高台 御殿山

品川区北品川にある御殿山は、江戸城を築城したことで有名な太田道灌の御殿山城があった地だ。道灌の江戸城入城後は将軍の鷹狩休息所として使用されたほか、万治4年(1661)から数年に亘って奈良 吉野の桜が移植されたことで名所となったが、元禄15年(1702)の火災で城が焼失。

その後、焼けてしまったこの地に吉宗が復興のために約600本の桜を植えて整備。城は再建されなかったため、庶民に向けて開放したのだ。

当時は眼下に品川湊が広がる高台であったが、幕末に台場建設用土砂の採取場となったことで山そのものが削られたため、現在とは風景がかなり異なる。桜が咲き誇る海を臨む高台は、さぞ風光明媚な場所だったに違いない。

2ページ目 かなり厳しく取り締まっていた上野公園

 

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