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天下分け目の戦いが行われた「関ヶ原」実は歴史的に重要な戦いが3度も行われていた地

天下分け目の戦いが行われた「関ヶ原」実は歴史的に重要な戦いが3度も行われていた地

「天下分け目の戦い」が行われた舞台となったのが岐阜県にある関ヶ原であることは、ご存じの方も多いかと思います。

でも実はこの関ヶ原、国の行く末を決定する重要な戦いの舞台となったのは、一度ではなかったのです。

関ヶ原古戦場跡地(写真ACより)

まずは七世紀半ばのこと、当時、近江にあった朝廷に対して、後の天武天皇となる大海人皇子が反乱を起こして、美濃から攻め込みました。世にいう“壬申の乱”ですが、このとき反乱軍を討つべく、近江から派遣された軍隊は関ヶ原の近くで兵をいったん集めます。

ところが、大津から派遣された近江軍は、大海人皇子率いる反乱軍によって壊滅に追い込まれます。勢いに乗った反乱軍はそのまま近江の都であった大津京まで進軍、都を壊滅させてしまったのでした。大海人皇子はそのまま政権を握り、後の飛鳥王朝への時代を切り開いたのでした。

二度目は、14世紀半ばの話。後醍醐天皇に味方する北畠顕家の騎馬軍団が、東北地方より京都を目指して進軍していた時のこと、当時まだ不安定な勢力だった足利尊氏にとっては最大の脅威でした。このとき足利軍は関ヶ原付近で北畠軍を迎え撃ち、相手方を破っています。

この戦いの後、足利尊氏の勢力は盤石になり、基礎が安定してきたのです。

2ページ目 関ヶ原という土地が持つ地の利

 

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