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なんと90歳を超えて挙兵! 戦国時代の武将「龍造寺家兼」のお家再興ドラマ【中編】

なんと90歳を超えて挙兵! 戦国時代の武将「龍造寺家兼」のお家再興ドラマ【中編】

戦の結末から少弐氏滅亡まで

劣勢と思われていた少弐方だったが、龍造寺家兼に協力した鍋島氏や肥前石井氏を中心とした一族が結成した奇襲隊が活躍する。大内方は横岳資貞・筑紫尚門といった先鋒の武将が敗死したことで勢いを削がれ、結果的に敗走した。

合戦が起こった場所に関しては正確な位置はわかっていない。ただし、少弐氏当主であった資元の居城「勢福寺城(せいふくじ)」が佐賀県神埼市にあったことから、同地近辺が戦場と考えられている。

田手畷の戦いに勝利した少弐氏は、大内氏の影響力の強かった北九州の支配権を回復した。

しかし、田手畷の戦いの勝利は大内氏のさらなる侵攻のきっかけとなった。資元は和議を結んで休戦を試みるが、大内方の策略もあり領地を奪われてしまう。1535年、資元は自刃。少弐氏は滅亡することになる。

少弐氏の滅亡には龍造寺家兼が深く関わっているとされている

最後の【後編】では、少弐氏滅亡前後の家兼の動きの考察、その最後をご紹介する。

 

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