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踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【下】

踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【下】

これまでのあらすじ

踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【上】

会津(あいづ)藩と言えば、幕末の戊辰戦争における最大級の激戦地として知られ、旧幕府軍・新政府軍ともに甚大な犠牲を払いました。こと不退転の覚悟で臨んだ会津藩では、女性や子供、高齢者に至るまで志願…

踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【中】

前回のあらすじ[insert_post id=122814]時は幕末、会津藩士・神保修理長輝(じんぼ しゅり ながてる)に嫁いだ神保雪子(ゆきこ)は、美男美女のおしどり夫婦として幸せな新婚…

時は幕末、会津藩士の神保修理長輝(じんぼ しゅり ながてる)に嫁いだ神保雪子(じんぼ ゆきこ)は幸せな新婚生活を送っていましたが、夫は京都守護職に就任した主君・松平容保(まつだいら かたもり)に随従して京都へ。

その後、慶応四1868年1月に戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発。鳥羽・伏見の戦いに敗れた会津藩は、その責任を修理ひとりにかぶせます。

雪子はもちろん、幕臣の勝海舟(かつ かいしゅう)はじめ修理の才能を惜しんだ志士たちの助命努力も虚しく、修理は2月22日に切腹させられてしまったのでした……。

新政府軍が会津に侵攻!娘子隊に加わる

「あぁ、あなた……」

夫の死を知らされ、絶望の淵に追い込まれた雪子ですが、悲しんでばかりもいられません。江戸が無血開城された後も、新政府軍は「会津討つべし」と兵を北に進めて来ます。

「神保家の汚名を返上せねばなるまい」

義父・神保内蔵助利孝(じんぼ くらのすけ としたか)は、父・井上丘隅(いのうえ おかずみ)と共に出陣して行き、残された雪子は地元で「罪人の妻」として肩身の狭い暮らしを耐え忍ぶばかりでした。

白河口、磐城、二本松、母成峠……後世「会津戦争(あいづせんそう)」と伝えられる一連の戦闘において、父は負傷して退却、義父も敗走して8月23日、いよいよ新政府軍は会津若松城下へと迫って来ます。

ただ一人で屋敷に残されていた雪子は「せめて最期は家族と……」と思ったのか、井上の実家に帰りますが、「もうお前は神保家の人間だから」と追い返されてしまいました。この後、井上家に残っていた女子供や戦えぬ者は、父を含めて全員自刃。

(愛する夫を奪った会津藩に、何の未練があるだろう。このまま逃げてしまおうか……いえ、夫が最期まで忠義を尽くした会津藩だからこそ、私も最期まで忠義を尽くすべし!)

新政府軍に立ち向かう覚悟を決めた雪子は、親しかった武家の女性たち20数名で構成された「娘子隊(じょうしたい。婦女隊、娘子軍など)」に志願します。

「亡き夫の汚名を返上させて下さい!」

呼びかけ人である中野竹子(なかの たけこ)らの許しを得て娘子隊に加えてもらった雪子は、邪魔になる長い黒髪をバッサリと切り落として鉢巻きを締め、襷をかけて袴を穿いた戦装束に身を包みます。

「「「いざ!」」」

いよいよ城下へ乱入してきた新政府軍に対して、雪子たち娘子隊も薙刀や刀で立ち向かったのでした。

2ページ目 敵に捕らわれ、貞操を踏みにじられた悲劇の最期

 

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