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応援に白熱しすぎて相撲観戦を出禁になるも、家臣たちに実況させてまで相撲を楽しんだ江戸時代の大名

応援に白熱しすぎて相撲観戦を出禁になるも、家臣たちに実況させてまで相撲を楽しんだ江戸時代の大名

古くは神話時代から始まった歴史ある日本のスポーツ、相撲。その人気は時代を経る毎に盛んになっていき、江戸時代になると大名が贔屓力士を抱えるくらい人気が最高潮に達していました。

当時の江戸では年に2回両国でしか相撲興行が行われなかったので、相撲見たさに国元へ帰ることを嫌がった大名も中にはいたそうです。

そして、相撲好きの大名の中には異常なまでに相撲好きな大名がいました。その人物は京極高朗(きょうごく-たかあきら)で讃岐丸亀藩6代目藩主を務めていました。

今回は高朗の相撲好きが高じて、家臣に相撲の実況をさせた面白エピソードを紹介します。

感情の高まりで起こした行動によって出禁に…

ある時、参勤交代で江戸に来ていた高朗は両国の回向院(えこういん)で相撲を観戦していました。そこでは高朗が抱えている力士の中での筆頭格に当たる平石七太夫が相手力士を投げ飛ばし、勝利を得ていました。

自身の抱える力士が勝利したことで感極まった高朗は、喜びのあまり手を叩きながら小躍りをしてしまいます。後にその振る舞いが大名としてあるまじき行為だと評判になると幕府は大名の相撲観戦を禁止にしてしまいました。

2ページ目 相撲見たさに高朗が思いついたのは…

 

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