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織田信長が天下統一を遂げていたのなら、朝廷をも殲滅し「国王」になろうとしていたのか?

織田信長が天下統一を遂げていたのなら、朝廷をも殲滅し「国王」になろうとしていたのか?

戦国時代屈指の知名度を誇る織田信長。根強いファンも多い武将でもあります。

悪魔なの?天使なの?織田信長の家臣が記した貴重史料「信長公記」から信長の性格に迫る

おおむね「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」という歌にも表された独裁者というイメージを長年もたれている信長ですが、優秀な経営者としての面も評価されています。いったいどんな人物だったのでしょうか。…

数々のエピソードや伝説を持つ信長ですが、日本の半分を支配下に収め、天下布武まであと一歩まで到達していたところで、本能寺の変によって夢半ばのままこの世を去ってしまいました。

もしも信長が天下統一を遂げていたのならば、彼は朝廷をも殲滅し、「国王」になっていたかもしれません。

世界の歴史を見ても、支配者は前の支配者の一族を滅ぼすのが常識。ところが、日本の歴史においてはその常識が適応されません。

藤原氏、平氏、源氏、足利氏などは天皇家と姻戚関係になったり官位を得て自らの一族の威信を高めることによって支配者としての地位を築いてきましたが、天皇家や朝廷を滅ぼそうなどとはしませんでした。既存のシステムの上で成り上がっていったわけです。

信長も当初は、内裏の修復に献金をしたり、様々なものを献上したりなどして朝廷を立てる形でその勢力を築いていこうとしていました。ところが、右大臣に任命されると、信長は翌年にその官位をあっさり返上したり、朝廷が権限を持つことに対して不満をあらわにし始めました。

信長は、これまでの既存のシステムに乗っかるかたちで力をつけてきたやり方ではなく、自らが正しいと信じている新しい価値観に基づいて天皇に代わる最高権力者になろうとしていたと考えられます。

本能寺では信長が自刃し果てますが、光秀が信長の遺体をいくら探しても見つかりませんでした。信長が、自らの死を覚悟したとき、真っ先に考えたのは遺体の扱われ方であったのでしょう。

信長の首が光秀の手に渡れば、必ずや晒し首とされ、光秀の謀反が正当化される可能性がありました。だからこそ信長は自らの遺骸の所在が光秀たちに知られることを防ぎ、家臣たちに隠し通させたのです。やはり、大した武将です。

参考

 

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