東京都の「品川」とは、北品川と南品川の間を流れる目黒川のことで、その下流、河口付近を品川と呼んでいました。
目黒川の河口が品川と呼ばれるようになった由来については、「目黒川が河口付近で大きくカーブしているため、‶しなり川(しなる川)”と呼ばれ、それが品川になった」とする説や、「神奈川の語源になった上無川(水源が定かでない川)に対して、目黒川を下無川(しもなしがわ)と呼び、それが略されて品川になった」とするものなどがあります。
また、「高輪(たかなわ)に対して、「品」のよい地形(土地)ということで、品ケ輪と呼ばれ、それが品川となった」というもの、さらには、「目黒川の河口付近は港としても栄え、よく品物が飛び交ったことから」といったものまで未だに議論の種になっています。
いずれにせよこの品川が、江戸時代に整備された五街道の一つである東海道五十三次の第一の宿場「品川宿」の名の起源となりました。
この「品川宿」は、日本橋から最も近い宿場として、江戸四宿(品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿)で一番賑わっていました。