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牢屋暮らしに島流しも経験、江戸時代の絵師で芸人さん「英一蝶」の波乱万丈すぎる人生

牢屋暮らしに島流しも経験、江戸時代の絵師で芸人さん「英一蝶」の波乱万丈すぎる人生

理由は、第5代将軍徳川綱吉によって制定された生類憐れみの令に対する違反であったとか。今回の罪は5年前の罪のように入牢だけでは済まされず、三宅島への島流しとなります。

この時すでに一蝶は46〜47歳。今ほど寿命が長くなかった江戸時代の事を考えると「俺、人生ツモった…」と萎えてしまいそうなものですが、ここで腐らないのが英一蝶。江戸に残した家族への仕送り、そして島で助けてくれるひとたちのために絵を描き続けます。この三宅島時代に描かれていた一蝶の作品は島一蝶とも呼ばれます。

 

12年もの流罪からついに開放

一蝶の三宅島での生活は12年にも及びました。1709年(宝永6年)に、生類憐れみの令を制定した徳川綱吉が世を去り、刑が許された一蝶は江戸に戻り再び人気絵師として絵を描き続けます。そして忘れてはならない、芸人としての活動も再開。

その後も絵師として作品を残し続けますが、1724年(享保9年)、73歳でこの世を去ります。三宅島から江戸にもどって15年後のこと。

73年の人生に幕をとじた一蝶ですが、実は一蝶には息子が二人いました。長男、次男ともに画を生業とし、ともにお父さんと同じ英一蝶を名乗り活動しました(次男は 英一蜩 という漢字)。

人気の絵師としてその一生を遂げた一蝶。その人生は芸術分野でのマルチな才能発揮、芸人としても活躍できる人を魅了する力で多くの親交をもち、そして入牢、三宅島への流罪と、波乱万丈なものでありました。

興味深い人生を送った人気絵師・英一蝶ですが、他の絵師に比べて一蝶の名は一般的にはそれほど知られたものではありません。今日まで伝えられてきた彼の情報には不確定な部分が多いというのが、理由のひとつかもしれませんね。

絵師がどんな人生を送ったのか知った上で作品を観てみるというのもまた、面白い楽しみ方かもしれませんね。

※英一蝶は名前を色々持っていて、英一蝶と名乗ったのは三宅島から江戸に戻ってきた頃。

画像出典: 東京国立博物館ボストン美術館

 

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