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無能と呼ばれた男を支えた愛。戦国時代随一のおしどり夫婦、今川氏真と早川殿の一生

無能と呼ばれた男を支えた愛。戦国時代随一のおしどり夫婦、今川氏真と早川殿の一生

時代の寵児から一転、敗者へ

父の後を継いで今川氏12代当主となった氏真。しかし、激動の世を生き抜くには運と実力が及ばず、駿河侵攻を狙う武田信玄の猛攻を前に、今川家は衰退の一途をたどります。

名門としての地位や名誉を失い、行くあてを失った氏真ですが、苦境の折にも氏真の傍らにはいつも早川殿が寄り添っていました。そんな二人が頼ったのが、早川殿の実家である北条氏です。

北条氏の3代当主・北条氏康は「相模の獅子」と謳われる名将で、かの武田信玄や上杉謙信と並び称される大器でした。氏康は、寄る辺なき身となった娘夫婦を小田原で庇護します。絶大な力と人望を持つ氏康を味方につけたふたりは、さぞかし胸をなでおろしたことでしょう。

しかし、そんな安寧もつかの間。氏康が没し、嫡男である北条氏政がそのあとを継ぐと、北条氏は武田氏と和睦してしまいます。

北条と武田が手を組めば、氏真の身に危険が迫ることは必至。そんな状況に奮起したのが早川殿です。信玄の命で、氏真を討たんとする刺客が仕向けられていることを知った早川殿は激怒。夫を守るため、旧知の人間を集めて急ぎ船を仕立て、氏真を連れて小田原を脱出した、というエピソードが『校訂 松平記』に残されています。

小田原は早川殿の実家であり、慣れ親しんだ故郷。そんな地に未練を残すどころか、武田信玄や、武田と和睦した兄・氏政(※)に対して腹を立てながら小田原を去った早川殿。その行動からは、夫に対する思慕の念がよく伝わります。※兄とも弟とも諸説有り

3ページ目 流転の日々と晩年の平穏

 

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