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吉原ならではの構造。江戸時代の吉原の中ってどうなっていたの?

吉原ならではの構造。江戸時代の吉原の中ってどうなっていたの?

吉原大門をくぐった先には何がある?

江戸時代には最大規模を誇った、江戸幕府公認の吉原遊郭。吉原大門の向こうにどんな風に建物が並んでいて、どんな店があったのかは、あまり知られていないかもしれません。はじめは江戸城近くの日本橋付近にありましたが、明暦の大火後に浅草寺裏の日本堤に移転した新吉原の特徴といえば、大門・お歯黒どぶ・仲の町でした。

1846年の吉原地図

De Becker, J.E. The Nightless City: Or the History of the Yoshiwara Yukwaku

1.大門

吉原の唯一の出入り口である大門は、医者以外は駕籠にのったまま通過することができませんでした。この大門から入ると、左手にあるのが面番所です。ここは、お尋ね者が出入りするのを見張る場所で、奉公所の同心と岡っ引が交代で常駐していました。右手にあるのは、四郎兵衛(しろべえ)会所とよばれる小屋で、遊女が大門から出ないか見張る番人が常駐していました。

男性は遊びでも商用でも出入り自由だったのに対し、女性が吉原を出るのには検査が必要だったそう。女性が吉原に入るときには、予め四郎兵衛会所や茶屋で切手なるものを入手しておき、出るときに番人に提示していました。

2ページ目 遊女たちの逃亡阻止に効果的だった「お歯黒どぶ」

 

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