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そうだったの?江戸時代 ご隠居さんのエネルギッシュさに脱帽!実は伊能忠敬のあの偉業も隠居後なんです

ご隠居さんのエネルギッシュさに脱帽!実は伊能忠敬のあの偉業も隠居後なんです

初の測量旅行へ

寛政12年(1800年)、忠敬56歳のときには蝦夷地の東端まで測量し、精密な地図を作成しました。幕府は、ここまで完成度が高いものができると思わなかったようで、この測量旅行にはお金を出していませんでした。なんと、忠敬の自己負担による測量で、幕府としては経費を自分で払うなら測量してもよい、ということだったそう。

わずかな日当は支給されたとはいえ、従者5人の宿泊代や測量機械を運搬する馬や人にかかるお金も忠敬の負担だったとか。隠居分のお金をかなりつぎ込んだと思われます。

1802年の第三次の羽越測量からは、ようやく幕府の経費で行われるようになりました。60歳で幕府の役人となり、日本全国を歩いて測量しては江戸に戻って地図作成…の繰り返し。体力気力ともに、並大抵のものじゃありません。

50歳で隠居、60歳で役人というとサクセスストーリーのようですが、シニア世代の忠敬が偉業を成し得たのは実測地図作成への情熱があったからこそ。彼のパワーの根底には、自分のお金をつぎ込んでも成し遂げたい!という熱い気持ちがありました。

ちなみに、長屋の住人たちにとっては隠居はとても無理で、年齢関係なく働き続けないと生活できませんでした。隠居できたのは、家名(かめい)・家職(かしょく)・家督のある武士、資産のある町人、上層の農民などに限られていたそう。

せっかく隠居できるならば、その時間とエネルギーを有効活用し、伊能忠敬のようないきいきとした日々を過ごせたら素敵ですね。

 

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