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小倉百人一首の超謎の歌人「猿丸大夫」はなんで百人一首に採り上げられた?

小倉百人一首の超謎の歌人「猿丸大夫」はなんで百人一首に採り上げられた?

お正月のかるた遊びでおなじみの「小倉百人一首」は、1番の天智天皇から100番の順徳院まで、和歌番号が付けられていて、ほぼ古い歌人から新しい歌人の順に並んでいます。

百人一首に採用されているのは、天皇や内親王、公卿などですが、中には出自のはっきりしない歌人も何人か含まれています。

小倉百人一首 5番目の歌

「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」

小倉百人一首、5番目の歌の作者とされている猿丸大夫(さるまるだゆう、またはさるまるのたいふ)も、詳細不明とされている歌人の中の1人です。

実はこの歌は、小倉百人一首の出典元である『古今和歌集』では「詠み人知らず」とされ、作者が不明か匿名で、猿丸大夫の作であるという根拠はありません。それどころか「猿丸大夫」という人物が実在したのかどうかさえ、疑う意見もあるほどです。

正体不明の歌人・猿丸大夫

存在さえあやふやな猿丸太夫の名は、いったいどこから来たのでしょうか。大夫は、もともと古代中国における官位でしたが、日本では律令制の元、五位以上の官位を持つ者に与えられる呼称でした。「猿丸太夫」は、本名または呼び名と思われる「猿丸」に役職名が付いたもののようです。

猿丸太夫が三十六歌仙の1人であることは、広く知られています。『古今和歌集』の序文には、大友黒主という歌人を紹介する項目で「大友黒主が歌は、古の猿丸大夫の次(つぎて)なり」とあるので、少なくとも『古今和歌集』が成立した平安時代前期には「伝説上の歌人」とされていたということが分かります。

しかし、古今和歌集で触れられている以外には、生没年はおろか名前すら公的史料には残されていない、まさに謎の人物なのです。

『猿丸大夫集』という歌集もありますが、この中に入っている歌の多くは『万葉集』や『古今和歌集』の中の「詠み人知らず」の和歌を集めたもので、彼の歌であるという根拠のあるものはありません。

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