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祇園祭の「民営化」と、動く美術館・山鉾の誕生

祇園祭の「民営化」と、動く美術館・山鉾の誕生

祇園祭の山鉾は、「動く美術館」と言われてます。巡行の際、数多くの美術品を懸装品として飾り付けるからです。『展示品』は、京都のものだけではありません。日本のものだけでもありません。世界、それも16世紀のヨーロッパのものまで含まれます。それらは最近になって取り入れたというわけではなく、リアルタイムで輸入、現在まで『展示』され続けているのです。

祇園祭は元々、朝廷が行う官祭でした。平安時代、京都では疫病が流行。「たたりじゃ」と言うしかなかった当時の人々は、怨霊を慰撫&除去するため禁苑・神泉苑にて御霊会を開催。これが祇園祭のルーツと考えられてます。

朝廷からのバックアップで継続した祇園祭は、年を追うごとに行列が華美化。院政期に入ると、芸事が好きな後白河院も見物へ繰り出します。が、この頃は朝廷がジリ貧になる時代でもあり、後白河院は見物を楽しむかたわら、経済力をつけた有力町衆「有徳人」に「お前ら、祭の金を出せ」と命じました。祇園祭の「民営化」が始まります。

院まで見物するとあっては、さぞ立派な山鉾が出てたと思われるかも知れませんが、院政期にはまだ、山も鉾もありません。少なくとも今のような形の山鉾が現れるのは、室町時代以降。出現させたのは、「お前ら、金を出せ」と命じられて以降、、祭を経済的に支え続けた町衆たちです。


町衆たちはどんどん力をつけ、自分たちが出す山鉾は見境なく巨大化。応仁の乱からの復興も自力で成し遂げ、桃山時代に入ると世界中と貿易を開始。やがて、財力と鑑識眼を競い合うように各国の美術品で山鉾を飾りつけるようになりました。「動く美術館」の誕生です。

「京都の祭」「日本の祭」と思われる祇園祭ですが、山鉾の近くへ寄ると、意外とワールドワイドな要素が混在してることに気づきます。日本や中国はもちろん、インドや、西洋の織物もいっぱい。中には、おじさんがキスしてるタペストリーもあったりして。しかし、それらの要素もトータルで眺めると「和」のテイストになじんでます。そのなじみ加減がまた「京都らしい」「日本らしい」と言えるのかも知れません。

 

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