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祇園祭は「祇園さん」の祭りです

祇園祭は「祇園さん」の祭りです

祇園祭は、祇園さんの祭りです。祇園さんといっても、舞妓さんや芸妓さんのことをそう呼ぶわけではありません。祇園という街全体をそう呼ぶわけでもありません。祇園さんとは、四条通の東端にたつ八坂神社のこと。祇園祭は、八坂神社の例大祭なのです。

八坂神社は明治まで「祇園社」や「祇園感神院」と呼ばれてました。祇園にある神社だから「祇園社」ではありません。逆です。祇園社の門前町として茶屋が始まり、やがて花街が形成されました。祇園が今のようないわゆる「祇園」になったのは、江戸以降。祇園社の歴史に比べると、比較的最近ということになります。


祇園社の創建の由来については、細かいことはよくわかってません。ただ、平安初期には既に何らかの形で存在していたと考えられてます。祭神は、素戔嗚尊。ただし、元々はインドの天竺にある祇園精舎の守護神・牛頭天王でした。交代したのかといえばそうでもなく、牛頭天王と素戔嗚尊は同一の存在とも考えられてます。明治維新の廃仏毀釈の際、どうにもこうにも仏教色が強い牛頭天王の名をひっこめたんだとか。

祇園社は神と仏が極めて濃厚に混じりあった社だったようで、一時期は比叡山の末「寺」だった頃もあります。あまりに濃厚過ぎて、廃仏毀釈の際には祭神のみならず、神社の名前そのものまで変えざるをえなくなりました。が、今でも年配の方を中心に「祇園さん」の呼び名は普通に残っています。祇園祭は、この「祇園さん」の神さまを神輿に乗せ、街の中心へ迎える祭り。主役はあくまで、神輿に乗った神様です。

最も有名な山鉾巡行は、実は神輿の通り道の先祓いをしてるに過ぎません。ど派手な山鉾とにぎやかな囃子で疫神を引きつけ、呼び込み、吸収してるのです。巡行を終えた山鉾はただちに解体されますが、これは吸い寄せた疫神を消滅させるため。「動くところは見れなくても、見物くらいはできるだろ」と巡行翌日に山鉾町へ行くと、巨大な鉾は解体中、小さな山に至っては跡形もなく消えているのは、このためです。

 

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